《Channel Buoys (澪標)》 《She thought of their longing for each other through the years apart, of letters back and forth,》… and his delinquencies and her resentment seemed like a silly joke. "There are very special reasons for it all," he continued, "that she should be so much on my mind, and that I should be so diligent in my inquiries. But I fear that it is too soon to tell you of them. You would not understand. I think that the setting may have been partly responsible." He had told of her of the lines of smoke across the Akashi sky that last evening, and, though with some understatement, perhaps, of the lady's appearance and of her skill on the koto. And so while she herself had been lost in infinite sadness, thought Murasaki, he had managed to keep himself entertained.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。梁川星巌『星巌集』(全12冊揃)天保12年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【昭和49年覆刻・限定500セット「古文書時代鑑(上)」】東京大学史料編纂所編/定価20万円/。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。J24021702〇茶家好古集覧 全1冊 須原屋茂兵衛他板 花押 千利休 織田信長 豊臣秀吉 古田織部 細川幽斎他 嘉永7年〇和本古書古文書。現在の今上天皇と系譜がつながっている。■『白波五人男』神奈川縣平民・市川かめ翻刻。明治21年初刷。ボール表紙本。文事堂發兌。■御存知「歌舞伎十八番」の伊達男が勢揃い。。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。法然説 洞空増註『難遂往生機并四障四機種種念仏往生機』貞享2年序 秋田屋五郎兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗開祖。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。「武井武雄 刊本作品友の会 頒布記念パーティー敷紙」25枚セット 1967-1983年作 木版画多数 豆本 懐紙。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【戦前書籍/和装本】限定2000部 藤懸静也「浮世絵の研究」上中下3冊 昭和18年 雄山閣刊/岩佐又兵衛/師宣/鳥居流/遊女絵/絶版希少/貴重資料。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。元老・重臣・官僚・華族 野依秀市 秀文閣版 昭和9年11月発行 初版。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。古文書 書簡 五島耕畝 香山基宛て 封筒付き 茨城県 日立市 中里村 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。新薬方鑑 リープライヒ 明治22年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術蘭学漢方学薬学薬理学出産学薬剤学 戦前明治大正古書和書古本 NK。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。皇国開闢由来記・日本国開闢由来記・4冊/指漏漁者編・国芳画/絵入和本。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。御伝鈔演義 抜書 上中下揃 江戸時代 浄土真宗 親鸞 検)仏教仏陀浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NT。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。1930年代中国 看板 招牌 幌子 検索:銭荘 当舗 図譜 藝姐 廣告牌 支那 茶館 戯院 酒楼 青楼 武館 作坊 租界 銀号 煙館 書局 薬舗 老照片賭館。また、各巻ごとの書かれた年については不明。中村正蔵『日本外史新論』(全2冊揃)明治16年 成美書堂(岐阜)明治時代和本 頼山陽。従って、応永五年とは、書き始めの年である。江戸時代 和書『磐溪小稿』 大槻清崇 紫薇園蔵 文政10年 1827年。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。影宋本 備急千金要方(千金方)孫思邈 医学書(複製)和綴じ本(和本)35冊揃 昭和49年 限定500部 タトウ箱 毎日新聞社 専門書 s22042403。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。楽翁 松平定信書幅。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。厩馬新論 卑牧子較評。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。f24022007〇証印税金差出帳 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 地券証 新潟県 県令 楠本正隆 明治6年 越後国蒲原郡夏井村 現北蒲原郡。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。ビンテージ 当時物 修養全集 処世常識宝典 11 大日本雄辯會講談社 昭和四年発行 中外印刷 非売品 レトロ 希少書 アンティーク 古書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。f240502004〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都佃沖 東京都中央区佃 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。続近世畸人伝■和本■全5冊揃い■落丁なし■三熊花顛■伴蒿蹊■寛政10年(1798年)刊■続近世奇人伝。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。奥村玉蘭 筑前名所図会 全10冊 プラス解説本 家蔵本。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。f24050701〇東雅 新井白石 目録共全5冊 和装活字本 明治36年 日本語の辞書 語源解釈を主に扱う〇和本古書古文書。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。竹久夢二木版画装『中山晋平作曲 新作小学童謡』(2冊セット=第1,3編) 昭和2-3年 京文社刊。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。古文書 書簡 横山大観 書簡3通 宮坂捲雄宛 封筒付き 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。岩垣松苗・菊池純(菊池三渓)編『国史略』(全十五冊揃)明治11-13年 藤井孫兵衛刊明治時代和本 日本史。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。第14帖。即決 天文暦学書、明治期和本1898~1912(明治30~45)年15冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。獨鶴(知影)著 岡崎元軌序『独鶴詩集』(全2冊揃)文政7年刊 京都光隆寺の僧知影の漢詩集 江戸時代和本 本願寺派資料。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。近世木活字本 渋井徳章記 近藤忠質訳『責而者艸 前編』(4冊=巻七~十)江戸時代和本 歴史随筆集 史書。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 小笠原 古文書 書状。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。書簡 小川芋銭 富取風堂宛て 古文書。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。光琳百図 亀田鵬斎序 谷文晁序 酒井抱一編 2冊 前編後編 博文館。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。軍事的に見た欧州情勢 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法戦自衛隊戦前NY。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。送料込み、1727年刊。江戸時代の和本「田舎荘子」全4巻、江戸中期の滑稽本、著者は佚斎樗山。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。二大漢籍国字解 全12冊揃/早稲田大学出版部/92823。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。f24022101〇古文書 村庄屋 名主 約140年間の記録資料 田方名寄帳 元文5年(1740)~明治10年迄 (1877) 井草宿 埼玉県比企郡川島町。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。古文書 太政官日誌 明治2年 第11号~17号 7冊まとめて。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。古文書 希少『大臣関白状』『二条政関白』室町時代 二条正嗣 肉筆 公卿 関白 太政大臣 祭り事 皇室 神事時代物唐本唐物政事古書古筆古美術。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。扶桑蒙求 岸鳳質 天保14年 李澣 幼学書 寺子屋 尋常小学校 世話千字文 和漢朗詠集 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。Y3B3-240517 レア[千字文]。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。大森慧範『満鮮旅行録 完』昭和13年刊 神奈川県南足柄市の曹洞宗寺院「長泉院」前住職・大森慧範が満洲国・朝鮮を謳った紀行漢詩集。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。矢谷房子編『婦女手紙の文』明治37年文陽堂刊 明治時代和本 女性向け書簡例文集。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。1925年 初拓 張猛龍碑 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 羅振玉。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。小堀遠州自筆書状幅 永井尚政宛。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。和本「毛詩鄭箋標註・詩經古註標註」全20巻合本5冊揃 天明6年(1786) 江都東山先生/訂正 中国最古の詩篇 儒教 経典 (江戸。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。竹久夢二木版画装『弘田龍太郎作曲 童謡小曲選集』(16冊セット=第1~16集)昭和2-7年 京文社刊。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。葛飾北斎絵「三七全伝南柯夢」曲亭馬琴/滝沢馬琴 著 鶴声社 明治17年 表紙裏に木版口絵入り 81丁 ☆和本読本戯作 B24yn。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。富岡鉄斎題字『能楽装束文様大観』彩色木版画12枚入 明治時代末に刊行された能装束作品集 お能。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。HH-6980 ■送料込■ 鼇頭梵和直釈 阿弥陀経図説 極楽 全2冊揃え 明治20年 仏教 木版画 絵入り 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。尾張志・8冊/尾張藩最初の藩撰地誌・張州府志をもとに国号・御城・郭内外市井・産物・神社・城跡・川橋・人物・寺院・古跡などを収録。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。劉向列女伝。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。村田峰次郎編「長周叢書」12冊セット 明治24-25年 稲垣常三郎刊 明治時代和本(和装活字本)防長関係文献 周防国 長門国 山口県郷土史料。》
《よろつ》・・・・のこと(事)、すさひにこそあれ」と、
おも(思)ひけ(消)たれ給ふ。ジャングルブック 菊地寬編。
「此人をかうまて思ひやりこと(言)とふは、なを思ふ
やうの侍るそ。五本亭万羽編『八雲拾遺 高根五歌仙 全』文化9年序刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 成田蒼句収載。またきにきこ(聞)えは、またひか心え(得)給ふ
へけれは」と、のたま(宣)ひさして、「人からのおかしかりしも、
所からにや、めつらしうおほえきかし」なと、
かた(語)りきこ(聞)えたま(給)ふ。1947年 初版 江戸建築叢話 検索:江戸城 諸門 城門 大岡越前守 奉行所 職制 絵図 絵本 製図 藍図 江戸橋 品川宿 遊郭 女郎 花街 外郎屋 茶屋。あはれなりしゆふ(夕)へ
のけふり(煙)、いひしこと(事)なと、まほならねと、
そのよ(夜)のかたち(容貌)、ほのみ(見)し、こと(琴)のね(音)の
なまめきたりしも、すへて御心とまれるさまにのたま(宣)ひ
い(出)つるにも、「我はまたなくこそかなしと思ひなけきしか、
すさひにても心を・・・・《わ(分)け給ひ》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。井沢蟠龍『続本朝俗説弁』(全3冊揃)寛永5年 茨木多左衛門開板 江戸時代和本 肥後熊本藩士で山崎闇斎に師事した神道家・国学者。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君、明石の姫君の誕生を紫の上にお話しをする》
《長年の間、たまらなく恋しいと思い思われなさったお心とお心、
あるいは折々のお便りの往来などをお思い出しになると、
女君(紫の上)は、すべてが》・・・・・源氏の君のその当座の慰みに
すぎないのだと、おうらみの思いもおのずと消えるのである。日本上代の甲冑/末永雅雄/昭和19年/古墳出土の甲冑の資料の復原研究を行いその実態たる甲冑の推移過程を考へ考古學上の位置を正そうとした。
(源氏の君)「あの人(明石の君)をこうまで気にかけて便りをするのは、
やはり考える子細があるからです。ykbd/220527/p60/A/100★古書 詩書古伝 1~34巻 12冊 太宰弥右衛門(春台) 嵩山房 宝暦8年。それをあまり早いうちから申しあげたりすると、
きっと誤解なさるでしょうから」
と、源氏の君は中途でおやめになって、
(源氏の君)「あの人(明石の君)の人柄がよく思われたのも、
ああした田舎(いなか)のせいか、目新しかったのですね」
などとお話しになる。一品経和歌懐紙・2冊/佐々木信綱/昭和14年/ここに印行せる一品經和歌懷紙は二首懐紙にして一首は法華經の各品を分ち一首は述懐を題とせり。
心にしみいった夕べの塩焼く煙や、女の詠(よ)んだ歌など、はっきりとではないけれども、
その夜の顔かたちをほのかに見たことや、琴の音のしっとりと優美であったことも、
すべて愛着消しがたいもののように仰せ出されるにつけても、女君(紫の上)は、
自分が都でまたとなく悲しい日々を過していたのに、源氏の君は一時の気まぐれにせよ
他の女(明石の君)にも情けを・・・・・・・・《お分けになっておられたのかと、
穏やかならぬ複雑な気持におなりになられる。1907年 近松世話浄瑠璃詳解 検索:時代物 世話物 歌舞伎 平安堂 巣林子 不移山人 人形劇流派 義太夫節 河東節 一中節 常磐津節 富本節清元節。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。学問ノススメ 九編。
《Channel Buoys (澪標)》
《She thought of their longing for each other through
the years apart, of letters back and forth,》… and his
delinquencies and her resentment seemed like a silly joke.
"There are very special reasons for it all," he continued,
"that she should be so much on my mind,
and that I should be so diligent in my inquiries.
But I fear that it is too soon to tell you of them.
You would not understand.
I think that the setting may have been partly responsible."
He had told of her of the lines of smoke across
the Akashi sky that last evening, and,
though with some understatement, perhaps,
of the lady's appearance and of her skill on the koto.
And so while she herself had been lost in infinite sadness,
thought Murasaki, he had managed to keep himself entertained.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
得他那行的都是逢作,
心中的怨恨也就消失了。横山蘭蝶(津田蘭蝶)『断香集』文政9年序 絳雪吟窩蔵版 漢詩集 江戸時代和本 金沢の女性漢詩人 石川県金沢市郷土資料 横山政孝 横山致堂。源氏公子又:
“我之所以挂念那个人,又和通,其中自有故。垤甘度爾列氏植物自然分科表 田中芳男譯。
但在了,怕又引起会。古文書●900年頃と江戸末期 有名人4人の書 菅原道真の書(孝教)に頼山陽の入手経過そして藤田東湖の署名と徳川斉昭の冒頭の書 230307。所以且不。出世早合点 商人軍配記 五巻 江陵山人述。”
便把向:“此人之所以可,全是境所使然。即決アンティーク百科事典江戸期和本1750(寛延3)年元刻(文久4)年4刻『永代節用無蓋藏』大雑書、類書、社寺仏閣、地理、漢字、花押、卜占。
在那偏僻地方,的人便得了。長谷川伸旧蔵書 矢部甚一郎『歌集 雪代集』昭和15年 かぐつち社刊(本郷区根津片町)。
”接着便告那天共海暮烟而唱和的句、
那天上略看到的那人的容貌,
以及琴的高明手法。『新刃名鍛冶番附』安永7年 北奥甚助蔵版 元袋付 刀剣番付 日本刀資料 江戸時代和本 畳物一舗。气之中,表示恋恋不忘。写本 神武権衝録 慶應6年 江戸時代 神道 神社 仏教 儒教 天皇 真言宗 日本神話 検) 江戸期古書和書古本古文書 NS。
紫听了想道:“那候我空房独守,
无限凄凉。1921年 初拓張猛龍碑 朱印多数 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 墓誌銘 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本漢籍 珂羅版 玻璃版。他逢作,却在作!
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。近世禅林僧宝伝・3冊/相国寺心華院荻野独園撰/明治23年/荻野独園老師が延宝伝灯録・本朝高僧伝以降の臨済宗の禅僧等の伝記を撰したもの。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。HH-5284 ■送料無料■ 掌中官員録 明治8年 陸軍省 海軍省 琉球藩 他 政治家 名録 資料 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。冬姫は内大臣・通誠の養女。平林縫治・仲古谷津友吉・小野利世編 浪速短冊研究会同人跋『和歌の浦』限定300部 大正15年刊 古短冊集 宸翰から三遊亭圓朝まで。
冬姫は通称。紙看板 定宿びぜんや藤五郎。正式な名は伊達貞子。百人一首。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。杉山貞治編 吉川長昌校『算法発蒙集』(全5巻5冊揃)寛文10年序刊 江戸時代和本 和算書 数学 算数。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。大石千引著 小山田与清序『野乃舎随筆』文政3年 耕文堂/伊勢屋忠左衛門刊 江戸時代和本 加藤千蔭に師事した国学者/歌人の随筆集。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。馬場信武『韻鏡諸鈔大成』(7冊セット=巻2~巻7)宝永2年 小倉八兵衛他刊 江戸時代和本 音韻論。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 八条流馬書 清水忠安謹書 書状 古文書。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―11B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。関伝吉編『ころころ雑誌』(4冊)明治12年聚珍社刊(秋田県茶町)明治時代和本 文芸同人誌。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。◎送料無料◎蔵くら◎ お経 妙法蓮華経 巻第八 お経 仏教 ◎ 210909 M H100 仏壇 骨董 古玩 アンティーク レトロ。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。入江兼通(入江若水)『通俗両国誌』(全二十六巻二十冊揃)享保6年 蓍屋勘兵衛刊 江戸時代和本 中国史 読本 通俗両国志。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。まくり 松村呉春。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 馬書 古文書。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。送料込み、1859年版。江戸時代の和本「阿蘭陀国条約並税則・日蘭修好通商条約」全1巻、金幸堂、綴じほつれ有、安政五カ国条約、不平等条約。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。東里山人作 歌川英泉画『出謗題無智哉論 三篇』文政8年岩戸屋喜三郎版 江戸時代和本 浮世絵・錦絵。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。老子形気。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。長谷川伸旧蔵書 長尾半平『鴻爪所感』昭和7年 秋水社刊 著者直筆献呈署名入(長谷川伸宛)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。f24022002〇錦絵 彩色木版画 東京明細図会 歌川広重 駿河町三井 富士山 三井銀行 三越 丸鉄板 明治初期〇和本古書古文書。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【昭和レトロ・希少】古書 新聞でみる七十五年史〜大正篇 全四巻 定価10000円 北国新聞社 創刊75年記念 縮刷版 昭和四十三年八月五日発行。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。農業全書。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【大正時代発行】『絵入 好色一代男 第1-8巻完結セット』井原西鶴 愛鶴書院 大正15年発行 浮世草子。撮影後、展示のために再表装をしております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 弘治 十一月 小笠原 古文書 書状。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。石川一代記 上下巻/石川五右衛門 賊禁秘誠談 和本 古典籍 千鳥の香炉【23-0914-1】。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。女庭訓御所車。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。送料込み、1827年,江戸時代の和本「御成敗式目證註」全1巻。約140頁。鎌倉幕府の法律。糸ほつれ有。ページ袋とじ破れ10頁ほど有。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【改正官員録 上下2冊】 彦根正三編輯 明治17年 明治時代職員録。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。写真帖 日中戦争 国民党兵 重慶轟炸 蒋介石 黄埔軍校 中華民国 戦犯 東條英機 関東軍 総督府 共産党 土匪 抗日 新四軍 八路軍 軍服 生写真。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。観世清廉校訂「観世流謡本」33冊セット 明治時代和本 シテ方観世流能楽師 23世観世宗家。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。歌学提要。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。湖月輯『茶家酔古集』(全五巻揃・元合本全二冊)大正2年 松山堂刊 茶道書 茶の湯 江戸時代和本(大正刷)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。1928年 東海道名所 検索:広重 平安城 道中 図版 和本 江戸 幕府 戦国 木版画 銅版画 北斎絵 俯瞰図 鳥瞰図 地図 浮世絵 風説書 天満宮 歌麿。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。はいかい はるの湊 京/橘枝堂板 寳暦頃刋 俳諧 春の湊。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。紀常因『近世異説奇聞』(全5冊揃)明治17年 明治時代和本 読本 江戸時代怪談集「怪談実録」近世怪談実録 古今奇聞怪談実録 オカルト。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。人間奇話全集 : 精神科学 文化普及学会 編 大正13年 ☆変態心理/異常性格 変質者 脅迫観念 心霊 オカルト 戦前 B21yn。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。f23121610〇浮世絵 東京名所四十八景 浅草寺境内弁天山 時の鐘 昇斎一景 明治四年 蔦屋吉蔵〇和本古書古文書。母は後水尾天皇皇女女二宮。■『義經再興記(全)』徳島縣平民・内田彌八譯述。山岡鐵舟題字。明治19年第4版。上田屋發兌。ボール表紙本。■源義經=Genghis Khan説。。実母は近衛家女房(瑤林院)。淫水亭 恋川笑山 柳水亭種清 浅草十二景 艶本 春画 木版画 製本ミス?。幼名は多治丸。●P340●千字文餘師●千字文余師●百年先生●誠徳堂●国字講釈●天保十三年●三河屋甚助●和本●即決。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。和語燈録 円光大師 正徳5年 法然 浄土宗 仏教 江戸期江戸時代 古書和書古本 NB。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。宮坂源吾輯『筑摩県管下町村合併改称便覧 全』明治8年精華堂刊 明治時代和本 飛騨国資料 長野県松本市郷土史料。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。安芸国大野家石高文書 大野宇内・大野孫兵衛・大野久馬・大野嘉内・大野槌三郎。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。s◆** 江戸期 重鐫 日本歳時記 春夏秋冬 4冊 揃い 文政七年 和本 古書 当時物 時代物 /N54。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。似せ金銀錢拵へ候もの・・御禁制ノ高札。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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